暮れていく年に
いろんなことがあった年だった。あまりにも、いろんなことがありすぎて、思い出せないことさえある。
今年は、あまりにも喪中が多く、自分で賀状を出すのをやめた。替わりに「寒中見舞い」にする。おめでとう、より、お見舞い申し上げます、のほうがしっくりくる人も多いからだ。生きているのか、死んでいるのか、わからない友人もいる。家業が傾きかけている人も、退職金をはたいた自宅が消えた人も。みんな、それぞれ、「お見舞い」だ。
60枚以上ある喪中葉書の中で、今年一番悲しかったのは、友人の息子さんのだった。24歳である。地震でも津波でもない。彼は、デュシェンヌ型の筋ジストロフィーだった。でも、普通校へ進学し、大学へも行き、新しい人生を切り開こうとしていた。それは24歳で終わってしまった。デュシェンヌは、かつては16歳ごろまでしか生きられなかったのだから、長生きしたというべきかもしれないとは思う。だが、南九州病院の友人たちのように、30代の後半まで生きる人だっている。そう思うと、やはり早過ぎる気がしてならない。
一人息子を失った両親の悲嘆は限りないだろう。お母さんは、私の前職の同期だった。本当にきれいな人で、優秀で、ひとにやさしかった。プロポーズされたときのことを、とても幸せそうに語っていたのが、昨日のことのように思い出される。幸せの絶頂で生まれた息子が、神経難病になったのだ。彼女は仕事を辞めた。
どんなに医学が進んでも、治らない病気は存在する。いつかはとあきらめていても、やはり目の前の子どもを失うということに、親は悲嘆にくれる。突然ならば、なおさらだろう。でも、それも、人間が向き合わねばならぬことの一つなのだと思うしかない。いつかは、自分だってこの世界から消えていくのだから。
いろんな思いの中に、今年も暮れていく。
中学生のときに作った俳句を、私はまだ覚えている。
「走り出でて 晦日の夕陽に 別れけり」
元旦の朝日を拝むだけではなく、一年間お世話になった夕陽にも、別れを告げる。
そんな、中学生だったのだ。
あと、ふつか。静かで平和な、年の暮れになりますように。
今年は、あまりにも喪中が多く、自分で賀状を出すのをやめた。替わりに「寒中見舞い」にする。おめでとう、より、お見舞い申し上げます、のほうがしっくりくる人も多いからだ。生きているのか、死んでいるのか、わからない友人もいる。家業が傾きかけている人も、退職金をはたいた自宅が消えた人も。みんな、それぞれ、「お見舞い」だ。
60枚以上ある喪中葉書の中で、今年一番悲しかったのは、友人の息子さんのだった。24歳である。地震でも津波でもない。彼は、デュシェンヌ型の筋ジストロフィーだった。でも、普通校へ進学し、大学へも行き、新しい人生を切り開こうとしていた。それは24歳で終わってしまった。デュシェンヌは、かつては16歳ごろまでしか生きられなかったのだから、長生きしたというべきかもしれないとは思う。だが、南九州病院の友人たちのように、30代の後半まで生きる人だっている。そう思うと、やはり早過ぎる気がしてならない。
一人息子を失った両親の悲嘆は限りないだろう。お母さんは、私の前職の同期だった。本当にきれいな人で、優秀で、ひとにやさしかった。プロポーズされたときのことを、とても幸せそうに語っていたのが、昨日のことのように思い出される。幸せの絶頂で生まれた息子が、神経難病になったのだ。彼女は仕事を辞めた。
どんなに医学が進んでも、治らない病気は存在する。いつかはとあきらめていても、やはり目の前の子どもを失うということに、親は悲嘆にくれる。突然ならば、なおさらだろう。でも、それも、人間が向き合わねばならぬことの一つなのだと思うしかない。いつかは、自分だってこの世界から消えていくのだから。
いろんな思いの中に、今年も暮れていく。
中学生のときに作った俳句を、私はまだ覚えている。
「走り出でて 晦日の夕陽に 別れけり」
元旦の朝日を拝むだけではなく、一年間お世話になった夕陽にも、別れを告げる。
そんな、中学生だったのだ。
あと、ふつか。静かで平和な、年の暮れになりますように。
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